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山口瑠美



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山口瑠美

歌谣物语 山内一豊と妻千代

作词:中里はる
作曲:中里はる

北に四国の山地を控え 眼下にうねる外堀は
江ノ口、潮江(うしおえ)流れを分かち 浦戸の海に注ぐ川
间(あい)の大高坂山に 耸(そび)える天主は高知城

武士は骏马で駈けてこそ 徒歩の功名成り难し
织田に豊臣、徳川と 主代えての御奉公
贤才、才女の妻千代に 支えられたる功名で
见事戦国乱世に 掴み取ったる一国一城
土佐は二十四万石よ
山内一豊と妻千代の 立身出世の物语

“千代、侬はどうしてもあの马が欲しい。褐色、赤、黄の差毛に
白毛(しろげ)が混じった见事な苇毛云雀(あしげひばり)。
たてがみは焦茶色(こげちゃいろ)で、尾までもが黄味を帯びておった。
肩は怒るが如く股も逞(たくま)しく张り、四足は力强く大地を踏みしめ、
山鹿のよに軽やかに侬の目の前を駈けて行きおったわ。
诚(まっこと)日本一の名马じゃ!侬はあの马に跨り、縦横无人に
戦场(いくさば)を駈け巡って、この枪一本で功名を立てるのじゃ。
だがのう…、ついた値段が金十両。贫乏侍のこの一豊にはとうてい
手が出せぬ、土台无理な话よ。所诠叶わぬ愿い、梦のまた梦じゃ…”
“一豊様、その马お买いなさいませ。
その名马に打ち跨り见事功名お上げなされませ。”
“何を痴れた事を!千代、十両といえばこの长浜の屋敷が几つも
手に入れられるという金子。例え二千石取りといえども身代以上に
家人を扶持するこの山内の屋敷のどこにそんな金子があろうか…”
“一豊様、私はこの家に嫁いで来た夜、あなた様とお约束を致しました。
私は武士の妻として、かならずあなた様を一国一城の主にして见せますと。
お待ちくださりませ…。さあ、ここに金十両が御座います。
これで日本一の名马とやらを、お买い求めくださいませ。”
“なな、何と。そなたそのような大金を如何にして…”
“この金子は私が嫁いで来た折り、婿殿の一大事に用立てるようにと、
私の伯父上様が密かに镜箱の底に遣(つか)わせてくださったもの。
さあ、今がその山内家の一大事、どうぞ存分にお使いあそばせませ。”
“千代、そなたという女子は…。合い分かった、侬はそなたの为にも
武士の本懐を遂げ、一国一城の主になってみせるぞ!”
“一豊様……。”

天正九年は二月も末の 京の内里の东方
南北八丁の大広场
天子出御は织田信长の 史上名高き马揃え

空に响いた大太鼓 马揃え告げる辰の刻
一阵二阵三阵と 并足打たせる马印
あれは先駆の大名达よ 过ぎりゃ织田家の家纹が通る
再び続く诸大名 羽柴秀吉十骑の后に
马蹄戛戛(かつかつ)响かせて 苇毛云雀が现れた时
あっと响动(どよめ)く十万の民
桟敷に起こる赏賛の 声割って立ち上がる
頼朝越えた右大臣 天下に命ずる织田信长は
军扇真直ぐ指し示し

“おおっ、あれこそは马で知れたる伊右卫门か、诚(まっこと)见事な
苇毛云雀じゃ。いやはや、良き武者振りかな。伊右卫门めに
马代(うましろ)として二百石を加増してやれい。”

戦国の世の倣いとて 天下は十日で涂り変わる
织田は明智に讨ち取られ 明智は転がる天王山
稀代の英雄筑前も つゆと消えにしなにわの梦か
御膳に盛られた天下饼 食する徳川家康の
天下分け目の関が原

“徳川殿に申し上げまする。某にも先阵の役お与えくださりますよう。
居城と远江(おとうみ)挂川を明渡し、兵粮・武器・知行地の一切合财を
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徳川殿に进上致しました上、我が挂川六万石の全兵力を持って西に向かい、
谋叛人石田治部少辅(じぶしょうゆう)を、何卒讨たせてくださりませ。”
“おおつ、かたじけなや対马守殿。よくぞ申された、
我に生死お预けなさるとな。これで军(いくさ)には胜ったも同然。
これぞ古来に例を见ぬ、合戦に先駆けた大きな功名よな。”

庆长五年九月十五日、
夜を笼めて降り続いた雨で浓い雾に包まれた関が原一帯
先锋・福岛正则、黒田长政、细川忠兴、藤堂高虎、京极高知、加藤嘉明、
筒井定次、松平忠政・忠吉、井伊直政の前线部队。
中军には徳川本队、后卫には池田辉政、浅野幸长、山内一豊、有马豊氏
合わせて十万余の东军が阵取れば、対峙するは、西军本队石田、岛津、
小西、宇喜多の队。早々と布阵したる大谷、小早川、毛利、吉川、
长束(つか)、安国寺、长曽我部队、合わせて八万五千なり。
云は东に流れて辰の刻、突如静寂(しじま)を破る阵贝の音。
先ず先锋・福岛队が天満山の山裾に向かって切り込めば、突き崩されたる
宇喜多队ハッシと阵を立て直し、突き返す事四丁五丁。
さらに石田の本队が、迎える东军主力を真っ二つ、
徳川本阵近くに突き寄せば、西军优势との物见の报告。

“马引け、马引け、马引け。もはや里手の敌は动かぬ。皆の者、
咆えろや、唸れや、武者声をあげよ。この一豊に続け、いざ出阵じゃ!”

振り返り见れば徳川本阵より鸣り渡る阵贝・阵鼓の音。
されど石田骑马队の勇悍(ようかん)决死の突撃に、
もろくも崩れ去る徳川兵団。
その时、松尾山の顶から突如涌き起こった哄の声。
自军大谷吉継の阵地に袭い挂からんとする、西军小早川秀秋一万六千余の
里切りの旗帜は明らかなり。

“おおっ、动いた动いた动いた、松尾山が动いたぞ。
さてこそは金吾の里切りぞ。皆の者、この机を外すな。
押せや押せや押せや…”

轰き渡る武者声に 东军全军奋い立ち
突き返したる敌阵に 怒涛の如く雪崩れ込む
歴史に残る大戦(おおいくさ) 関が原の合戦も
ついには西军総崩れ

“千代、浦戸の海がキラキラと、镜の如く煌いて光っておる。
この一幅の絵のような见事な景色までもが、我が山内家の领土であろうか。
土佐二十四万石、一国一城を手に成す为、侬はこれまで
几多の戦场(いくさば)を駈け巡ってまいった。首坂の戦では
三段崎(みたざき)勘右卫门の放った矢が侬の左頬を射抜き、
口を贯いて右の奥歯の根元に突き刺さった。それを吉兵卫めが侬の颜を
草鞋で踏みつけ、力まかせに引き抜きおったわ。だがのう、その吉兵卫も
伊势亀山の城攻めで亡くしてしもうた。吉兵卫だけではない、多くの家来が
侬の武功の阴で散って逝きおった。天正の大(おお)地震では
长浜の城の下敷きになって、よね姫までもがあの世へ逝ってしもうた。
侬は土佐二十四万石と引き换えに、多くのものを失った。
侬の掲げた功名に何の意味があったであろうか。
侬にはもう何も残ってはおらぬ、そなた以外もう何も残ってはおらぬ。
千代、そなたのこの手の温もりが、冻えた戦场での侬の心を暖めてくれた。
侬だけではない、侬の家来までもが、そなたの笑颜见たさに
我に功名を上げさせてくれたのじゃ。
千代!そなた、生涯この手を放すでないぞ。”

土佐の高知は 一领具足
死をも恐れぬ いごっそう
寛厳自在の 苦労苦心で
镇抚平定いたします
山内家は十六代と 二百七十年间の
基础を固めて 揺るぎなく
国は安泰 栄えあれ